結構、下町が好きかも知れない。
京都の町を歩いていて、そういう
雰囲気があらためて好き
なんだと思う。
東京に行って、最初は千石の
白山寄りに住んでいて、
大通りのそばだったんだけど
その後、1人住まいになった
時は、根津に引っ越した。
別に意図はなかったんだと
思うが、そのころ、やっちゃばで
働いていたので、そこに自転車
で行きやすいところ、ということ
で、根津を選んだんだと思う。
だから、根津→不忍池→湯島
→神田 と通りを走っていた。
言問通りの交差点には
そのころはまだ角に吉野家が
なくて、赤札堂はあったね。
そこを少し谷中の方に行った
ところが住まい。さがみ荘。
築地から仕入れた魚屋さん
があって、その路地を少し
入ったところ。木造のおんぼろ
アパートで家賃は15000円ぐらい
だったと思う。その安い分、
給料はたまったな。
部屋といっても寝るところと、
トイレは現像場所にしていて
暗くしていたね。フロはなかった
ので、近くの銭湯に通っていた。
いつも、朝に自転車で帰って
きていたので、魚屋のおやじは、
何か危険人物を見るように
見ていたな。自転車といっても
その何年か前に、フラッシュダンス
を見に行って、気に入ってビデオ
を何回も見たんだけど、そこで
主人公が乗っている自転車
のようなの。あれと同じものを
買って乗っていた。フレームだけで
7万円ぐらいしたかな。かばんも
同じようなのを、デザイナーズ
ブランド店で買ってね。
そのころから、谷根千という冊子も
できてきて、谷中の方に歩くと
小さな寺があって、それも今
考えると、京都市内に似ていた
かな。
ずっと歩いていくと、JRの鶯谷の
駅があり、そこらへんも別の意味で
下町の雰囲気があったな。
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