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タイで人に使われて働いた経験

投稿日:2017年11月5日

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タイに来てから、もう25年

たっているが、当初のころ、

3~4年ほど、人に使われて

働いたが、その経験はやはり

今、いかされているのかも

知れない。

印象に残っているのは、

タイでフルタイムで初めて

働いたとき。

アースマンブラザーズという

会社で、社長はトオルさん

という人だった。

そのころはまだBTSが

なかったかな。アジアホテル

の近くから、ずっと入って

いったところに庭付きの

一軒家があって、そこを

住居兼オフィスにしていた。

衣類の輸出入をしている人で

輸出入業務が学べるのかな

と思っていたが、あまり

日本人がやる仕事はなかったな。

衣服の専門知識もなく、

輸出入の知識もない。

何ができるのかというと、

トオルさんとタイ人との

橋渡し役。

給料はいくらだったかな?

あまり覚えていないけど、

2万とか2万5千ぐらいじゃ

なかったかな。

何年前だろう。22年ほど

前かな。トオルさんの

ポケットマネーみたいな

ものだったかな。

 

そのころ、トオルさんが

主導して、バンコクで起業

している日本人の会を催して

いて、月1回くらい集まって

いたんだと思う。ゴルフ仲間

のような感じでもあったな。

飲み会では、タイ人の事業家

などを連れてきていたが、

タイ社会で稼げない人たちが

いかにして、タイ社会で稼ぐ

ことができるか、をあれこれ

アイデアを練る会のような

感じだった。

まあ、日本人なんだから、

タイ社会で稼げるというのは

難しいでしょう。タイの

日本人社会で稼ぐことを

考えなくては、と思ったけど、

トオルさんは、日本でオーダー

を取ったウェアをタイで生産

して日本に送る、という形

だったので、タイの日本人

社会で稼ぐという発想でな

なかったのかも知れない。

あと、思い出すのは、

ある時、運転手のタイ人と

私とで生産者のところに

行って、そこは下町で、

細いソイの中だったんだけど

車とかは入れなくて、

ダンボールを5~6個運ばなく

てはならなくて、私が率先して

運んだんだけど、運転手は見る

だけで。本当なら私が「おい、

運べ」と指示するんだろうけど

会社での立ち位置はあくまで、

トオルさんのアシスタント

だったので、タイ人を指示する

ことではなかったんだよね。

それで、その時は終わったん

だけど、あとで、その生産者

からうちの会社の女性スタッフ

に電話があって「私に荷物を

運ばせて運転手はそれを

見ているだけ」と怒っていた

ようだ。それでも、その

女性スタッフはまるで、

タイのドラマのセリフの

ように「な~にやってんの、

本当に、アカンよね、

運転手は」という感じで。

なるほど、ぐるなんだな、

いじめというのはこういう

感じなんですね、と

思ったね。

まあ、私もあまり仕事が

なかったので、タイ人から

すると、給料をもらっても、

衣類のオーダーができる

わけじゃないし、輸出入の

書類がつくれるわけでも

ないので、おちょくられて

いたのかな。

本当のところは、トオルさんが

ちゃんとタイ人を締めなくちゃ

いけなかったんだと思うね。

そういうのが甘かったし、

やはり、彼の見栄ハリの

部分が大きかったかな。

そういう失敗例を見ていると、

どういう風にやらなくちゃ、

というのがわかってくるので

勉強になったんだと思う。

 

その後、数十年たって、

日本に一時帰国した際、

JRの大久保駅の新宿側の

改札近くで、まだ夕方、

明るいうちだったと思うが、

トオルさんが連れの人と

居酒屋で飲んでいる

姿が目に入ったな。ガラス

越しによく見える店で、

はっきりとトオルさんだった。

ちょうど行くところがあったの

だけど、声をかけようか

迷って、でも声をかけると

飲まされて長くなるかも

知れないので、やはり、

ここは初志貫徹でと、

声をかけずに立ち去りましたね。

 

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