原宿 地域 思い出

原宿に「あかさたな」の京風ラーメンがあったころ

投稿日:2019年11月2日

東京に上京したばかりのころ、

学校が原宿にあったので、

JR 原宿駅をおりて竹下通りを

通るのが日課でした。

その時からすごい通りで、

朝9時前に行く分には人はまば

らですが、午後から行く場合な

どは原宿駅をおりてすぐ目の前

の竹下通りは、下り坂になって

いて、ずっと先の方まで見える

のですが、若い人の頭であふれ

ていました。

そこを通って、途中で東郷神社

の方に抜けるか、あるいは、

まっすぐ行くと、明治通りに

ぶつかります。その角にできた

ばかりだったと思いますが、

パレフランスという、ハイソー

な建物があって、その上階に

京風ラーメン店の「あかさたな」

という店がありました。付近で

食べるところがあまりなくて、

そこに入ることもしばしば。

特徴はレンゲが大きくて、丸っ

ぽくて、町屋風のレンゲという

か、でも、スープが飲みにくかっ

た気がします。

 京都出身ですが、そのラーメン

を食べながら「京風」なんて付

けて、いかさまラーメンだろう、

と思いながら、関東風の味のスー

プをすすっていましたね。

 あと、1階ですかね。広い喫茶店

というかレストランがあって、

学校に慣れて、時間ができたころ、

そこでアルバイトもしました。

 フロアのウェイターとか皆、学生

なんだけど、かっこよくて、慶応

の青木君は就職先が本州製紙に決

まったと言っていて、かっこよかっ

たですね。

 私は気楽な皿洗いだったので、

楽勝でしたけど、ただ、大きなレス

トランで食事も出していて、その

うちフロアが足りなくて、私もかり

出されました。フロアは男女いま

したが、常時7~8人いたと思いま

す。

そのビルは地下に駐車できて、その

まま1階のレストランへおしのびで

入って行けるので、芸能人とかが

毎日のようにいたと思います。

結構、アイドルとかもマネージャー

とやって来ていて「あれ、河合奈保子

だ!」という感じだったと思います。

その時の時給はいくらぐらいだった

でしょう。650円とか750円だった

と思います。勤続2~3年になると

100円くらいあがるんだと思います。

もう今では、パレフランスもない

というので、このあたりで懐かしめ

るといえば、中華料理店「龍の子」

ですかね。当時はちょうど、できた

ばかりの店だったと思います。

モダンで前衛的な感じだったと思い

ます。ちょうどテクノもはやっ

ていましたしね。そんな感じの、

当時としては不思議な店だったで

す。あと、クックドレという店も

当時からありました。

あ、あと、竹下通りでたまに

行った店では「天宝」があり

ました。なんとなくスタミナ丼

のようなイメージが残っていま

すが、竹下通りにあった唯一の

中華屋さんだったですけどね。

そうそう、特丼というのが売り

だったような気がしますが、

あまり、この店の雰囲気と合わ

なかったのであまり行かなくて

ほぼ覚えていませんけどね。

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