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カメラマン志望だった昔

投稿日:2017年10月8日

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昔、カメラマンになりたいと思って

いました。それでキャノンのカメラ

を買い、レンズもいろいろ買って

学校を出てから、いろいろやって

一番の近道はプロのアシスタント

になることかなと、飛び込みました。

真下伸友って人で、今でもfacebook

とかありますね。

彼の個人事務所で働いて、その時は

菅原君っていう自分より2~3歳

年下の人がアシスタントやっていて、

見ていると完ぺきなんですよね、すべて。

電話の応対、アポ、撮影の準備、

撮影日の仕事、あとプライベート

な手伝いとか、もう十分、自分1人で

できるんじゃないかと思うくらい、

完ぺきに見えましたね。

さあ、彼のやっている仕事を自分が

できるのか、というと、彼がいれば

見習えますが、彼は辞めたいと

言っていて、それはあかんでしょ、

という感じだったですね。

写真などを撮るスチールカメラマン

は、1回の仕事で5万~10万円

ほどですが、CMなどのムービーは

100万円にもなるので、そちらの

仕事が優先されたんですね。

真下さんはムービーもできるので

当然、お金の入るムービー主体に

なり、その場合は、召使い見たいな

もんですね。ムービーのアシス

タントは現場に直接来て、真下

さんの手伝いをするんですね。

まあ、そうやって、映画やCMなど

いろいろムービーの世界を

見せてもらいましたが、

はなやかな場所でしたね。

でも、結局、自分は何もできず、

スチールの方でも、フィルムの

入れ方とか、ロクロクにするのか

しのごにするのかとか、まったく

わからず、もうまったくパシリ

そのものでしたね。

スチールはスタジオで撮影する

んですが、スタジオにもアシス

タントがいて、う~ん、こっちで

みっちり覚えた方がいいのかも、

と思ったこともありますね。

 

給料は12万円くらいだった

ですかね。サーブのかっこいい

車を運転させられて、でも、

せま~いところを入っていく

駐車場で、よくこすって、

怒られて。

プロなんで、もう基本や技術的な

ものはあるので、発想とか、

アイデアが命なんですね。

だから、広尾にあったんですが

毎日のように飲みに行ったりね。

彼は発想を磨いていましたね。

たまにつき合わされました。でも、

自分はこの人よりアイデアや

発想はあるんじゃないかと、

そういう点では、この人より

できると思っていましたが、

現実は現実ですからね。

まあ、でも、プライベートな

ことが多く、休みも時間を

取られて、ある時、奥さんとの

離婚の係争って感じで、

売れっ子のプロですよ。

そのころ、カメラマンって

もてはやされていて、有名女優

とかとも何かあったりして。

休みの日に、奥さんの実家

まで運転して、ずっと

待たされましたね、何時間も。

事務所帰って洗濯も

していましたね。

である時、えらそうに言われて

切れて、やってられないな、と。

辞めてしまいました。

こういう見習いの仕事って、

自分を殺さないとダメなんで

すね。見て習うわけですから

個性出しちゃダメ。そういうの、

イヤでしたね。高卒じゃなく、

一応、大卒でしたからね。

丁稚奉行は難しかったです。

 

それで、じゃ、スタジオに

就職すればいいんじゃないと、

まだあきらめ切れず、トッパンの

スタジオに入りましたね。

でも、結局、同じような感じで、

まわりにいるスタッフは皆、

若い。専門学校卒ぐらいで、

20くらいなんですね。

それでも、1年ほどやってれば

知識がついて、一応、どこでも

やっていけるんですよ、この仕事は。

じゃ、何が彼らに足りないのだろう、

と思うと、社会知識とか、発想とか

アイデアなんですかね。

まあ、自分も25~26くらいだった

んで、20前後の若いのにあれこれ

言われるのもイヤで、確かに

スタジオ内の知識は自分より

上だけど、それ以外は全部、

自分の方が上だろう、とか

思っていて、同じように、

やってられないな、と思い

ましたね。

まあ、それで、見習いで習得する

カメラマンはあきらめたのかも

知れません。

 

 

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