にしむら 居酒屋 日本料理

にしむらの社長の思い出

投稿日:2017年6月30日

私はその名前が西村さんなのかどうか、知らない。でも店名が「にしむら」だったから、きっと西村さんだろう。

この人のことは非常によく覚えている。鮮烈だった。

出会ったのは、ずっと昔、スクムビットの15あたりの夜中にやっているバーだったと思う。我々の間では、タンツボと呼んでいたんだけど、そこに毎日のように来ていて、えらそうに座って、自慢話をしていた。17、8年ほど前だったかな。

「日航のホテルでシェフやっていて」とか言って、これからタイで日本料理店をやるけど、「自分だったら、こういうふうにやる」とか言って、まあ、よくある口だけのはったりの人だと思っていた。

そして彼はいつも、ある日本人のことを超絶にけなすので「ちょっと言い過ぎだろうなあ」と思って聞いていた。でも、いろいろ、株主がだれかとか、よく調べていて、へえ~と、まわりにいる日本人は聞いていた。

あと、それと、ジュライホテルの仲間だ!と私は思われていたけど、私は彼のことをまったく知らなかったし、ジュライで会ったこともなかったと思う。

そのあと、しばらくして、ソイ33/1に「にしむら」をオープン。ああ、はったりじゃなかったんだなあ、と思った。となりの「黒田」とは仲が悪いようだった。

彼はいつも、同業者の店を車でよく観察していたなあ。ホンダのCRVに乗ってたかな。会うと、あの店は「何時ごろから○○人ほど入っていて」とか、そういうことを自分の足で見てよく知っていた。

そして「もう一軒、一軒家の座敷のある店を造るから」と言っていたが、こちらはきっと、ホラだと思っていた。

そうすると、トンローの今の日本村モールのところに、「椿家」という店を造った。個室も多い立派な店で、ホラじゃなかったと思った。

そのオープン当初、らーめん亭の社長が家族を連れて来ていて「お~、××さん、いらっしゃいませ」と低姿勢で彼が応対しているのが目に入った。「普段、えらそうにしているけど、実際に会うと低姿勢なのかな」と思った。

それからは、あまりよく知らない。

ソイ33/1のにしむらの並びに、「椿家」を移転した。そこで寿司の食べ放題をやっていた。都落ちのように感じた。

そしてある時、「にしむら」の店前で会ったときは、やせこけていて、歩くのもおぼつかない感じで、健康状態が激変していた。CRVに乗るのもおぼつかなかった。

天の声があったのかもしれない。

そのあと、店はやっているけど、彼を見なくなったので、どうしたのかな、とは思っていた。

そうするとある時、「亡くなった」という話を日本人から聞いた。

「葬式はやらなかったようだよ。でも、タイ人の奥さんが1週間ほど喪服を着ていたよ」などというのを聞いたが、おそらくそうだったんだろう。

そして、しばらく営業していたが、その店も閉めて「にしむら」はなくなってしまった。

彼がバンコクで築いたものはなくなったが、自分の言ったことはやる、有言実行の人だった。


椿家がソイ33/1に移って営業していたとき

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