学生のころ、いろんなアルバイトを
しましたが、そのころはこの新鮮な
経験はまだまだこれからいっぱい
続くのかなと思っていましたが、
実際に社会人になって働くと
それほど新しい経験もなく、10年、
20年同じ仕事をしていると、固まっ
ちゃいますからね。
だから、今思うと学生の時の経験と
いうのは、アルバイトでかじった
だけだけど、いろいろな体験をして
その仕事がどういうものであるかが
だいたいわかりますね。
例えば、短期のバイトだと、日通の
引越しとかもやりましたね。大量に
かり出されて、1日いくらという
日雇いですが、大きなオフィスの
引越しとか、一気に土、日曜で
引越しするわけですね。
これが結構、重くて、エレベーター
のない階段での棚の持ち上げとか
最悪でしたね。もうそれだけで
体力使い果たして、くたくたに
なってましたね。
測量助手のバイトでは、2週間
ほどの短期で、あれは大井町とか
大森あたりでしたね。さら地と
いうか、草ぼうぼうの場所でやる
んですが、蚊がまとわりついてきて
「そんな簡単な場所での測量の
助手はないよな」と思いましたね。
ただ棒を持って立つだけなんですが
じっとしている間に蚊が寄ってきま
すからね。暑い時だったんですね。
それで、こういうバイトの楽しみっ
て、その町で食べる昼のごはんとか
だけで、その時は、あまりおごって
もらえなくて、自分でみそラーメン
を食べて、暑かったのに汗たらたら
で食べましたね。
あと、2~3日のみという感じでね、
バンに乗せられて、ずっと乗って、
幸手まで行ったんですかね。
そこで降ろされて、そこになぜか
自転車があって、それを使って、
サンプル商品を各家庭にばらまく
んですね。前のかごに入れてね。
エリアを指定されて、そこを
グルグルと。やってられないなあ
と思いながら、自転車をこいで
いて、かなり疲れてきて、向こう
の方に土手のようなのが、ずっと
続いていて、その向こうは見えな
いんですが、その土手の向こう
には何があるんだろう、と気に
なっていて、自転車を止めて、
土手をのぼってみると、利根川が
広がっていて、別世界のようで
したね。そこに牛もいたような
気がします。
あと、景色で覚えているというと
長野でやったバイトですね。
夏に東京から汽車を乗りついで
妙高高原だったと思いますね。
そこの赤倉の結構、でかいホテル
でウェイターとかのバイトですね。
すでに東京の学生が8人くらいいて、
私と他の学生2人は途中から入った
んですね。寮のようなところで
寝泊りして、朝から晩までこき
つかわれて、「思っていたバイト
とは違うな」と皆、口々に言って
いて、例えば、かわいい女の子と
出会えるとか、そういうのはまっ
たくなく、「辞めて帰るか」と、
いっしょに入った2人と言って
いました。
それである日、夏でも結構、利用
する家族連れとかも多くて、サーブ
とか皿洗いとか、クタクタになって
夜仕事が終わって、ホテルの外に
出て、もうそこは山の斜面なんです
が、売店でビール買って、冬は
スキー場になるだろう、芝生で腰を
おろしてビールを飲んで、ふっと
見上げると、星だらけでしたね。
まるでプラネタリウムで見る星の
ようだったですね。感動しました
ね。やってられないバイトで、
疲れて見上げたときの、一面の星
だったから、印象に残ってるんで
しょうね。ちょうどこんな感じ
だったですね。これほど青っぽい色
ではなかったですかね。
山の上なので、星がせまってくる
というか、近いというか。もう目の
前のように感じるんですね。
またいつか、長野のいなかの方の
山の上に登って、ビールを飲みなが
ら、星だらけの空を見上げたいな
と思いますね。
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