今回、帰省の際、認知症の
おふくろを見舞いました。
私の名まえを言ってもすぐに
はわからない状況で、繰り返
せば、わかってくれます。
しゃべることは、昔のことで
それを何度も繰り返ししゃべる
という感じですね。
ちゃんと食事を取らないと、命に
かかわってくるため、その部分
だけが心配ですが、認知症と
いうのは進んでくると、ごはん
を食べたのかどうかもわからず、
食欲があるのかどうかもわから
ない状況になるので、食べること
自体をやめてしまえば、あとは
死ぬだけ、ということのようで、
その方向に進んでいると、施設の
人に言われました。
まあ、私にできることは、施設に
訪問して、話をするくらいです
ね。話の内容は、50年ほど前
の話ですね。
それが記憶の中にあるようです。
だから「おばあちゃんの話」とか
兄妹の話とか、そういうものの
繰り返しですね。
「あばあちゃんはもういないよ」
と言っても、「そうか」と言うだけ
で、またしばらくすると、家にいる
おばあちゃんの話をします。
ある時は「申し分けないな、
ごめんな」と言います。
それをわかっていて言っている
のか、だれに対して言っている
のか、自分で想像するしか
ないですが、1週間に何日か
見舞いに来るおやじに対して
言っているのだと思います。
そうなると、その部分は認識が
あるということになります。
でも結局、そんなことをいろいろ
考えても、考え切れないので
寝たきりにならないようにして
もらって、できるだけ食事を
取ってもらって、この世で生きて
もらうということだと思います。
新聞にたまに載ってるような
「親の介護」というものを
自分はまったくしていないので
それに対しての後ろめたさや
恥ずかしさという気持ちは
ありますね。そういうものを
これから先も背負って生きて
いくんだと思うと、暗くなり
ますが、タイにいると、
そういうものを考えないので
居心地がいい、といえば
そうなんですね。