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チャオクワイ(หมาเฉาก๊วย )の死と火葬

チャオクワイ(หมาเฉาก๊วย )が5月17日に死にました。

飼い主に知らせようと、いつも待っている階段のところまで、はいつくばって行こうとしたようです。そこで見つけていれば、また、数日、寿命は延びたかも知れません。

最近はよく抱きかかえていたので、そのときの心臓の鼓動を感じます。最近はあまり、喜ぶ顔を見ていなくて、何かを訴える寂しい顔つきやその目が印象的でした。

普通に食事もしていたし、ただ小便、大便をする時に、そこに垂れ流す感じで、それを抱きかかえてトイレに持って行くのが少し大変でした。

それでも一番、近くにいたのが自分なので、親の介護が出来ていない分、自分なりにトイレ処理をやったつもりで、死んだあと、なぜか涙は出てこなかったです。

十分、チャオクワイのことはやってあげた、と思えるのかも知れません。それと、チャオクワイが私を飼い主だと思ってなついていたら、きっと、悲しみはこんなものではないかも知れません。あいにく、チャオクワイは私にはあまりなついていないので、それでも一番、多くの時間を過ごしたのは自分なので、悲しみはあります。

懐かしい写真を並べると、その時のチャオクワイを思い出し、やはりその際は涙が出てきます。でも今回は、このチャオクワイの死を、これからの自分の生に変えたい、新しいことを始めりきっかけにしたい、と思えるようになっています。

まだういういしいころのチャオクワイ、14年ほど前

タイ南部のシチョンの海に連れて行った時、とってもはしゃいでいた、これも14年ほど前だろう

 

これは一番古い写真かも知れない、パタヤで

飼い主は1人だけ、よくなついた

パタヤのジョムティエンビーチで

 

最近は目で訴えるようなしぐさが多かった

実は一度、どこにいるのかと、私が見逃してしまって、飼い主が見つけて蘇生したが間に合わなかった

1時間ほど立っていたようだ、生きていれば、あと1ヵ月は大丈夫だったかも知れない

 

目を閉じさせようとしたが、開けてしまう

黒ねこがそばについて、いつもなついていた、死をわかっているようだ

知らないところで、生まれ変わるかも知れない 「あ!チャオクワイだ!」とどこかで見つけたい!

 

きのう、クロントゥーイのペットの寺で、火葬しました。そのあと、初めて、遺骨というものを見ました。いや、過去にも何度か見たかも知れません。人間もこんな感じだったでしょうか、

クロントゥーイの火葬場、ペット用のようだ

チャオクワイが火葬されている

遺骨を受け取れる

チャオクワイは今回、息が苦しそうで、コロナにかかって、この3年ほどは、苦しい状態だったのかも知れません。少なくても私はコロナにかかって、うつ状態にもなりました。それもようやく徐々によくなっています。「チャオクワイがあなたのうつも天に持って行ってくれたのでは」という人もいます。そうしてくれたのなら、私ももう一度、がんばれる気がします。

また、どこかでチャオクワイと会えるのでしょうか。次は人間になって生まれ変わる?犬はペットにしか生まれ変われない?いずれにせよ、まわりの、新しく誕生するものを目を凝らして観察したいと思います。魂は火葬したあと、上空に上がって行ったのでしょうか?

知らないところで、生まれ変わるかも知れない。

「あ、チャオクワイだ」とどこがで見つけたい!

1ヵ月に1回、大量に2千バーツほど、買うロータスのえさのなかで、これが好きだった、えさは十分に満足させていたと思う

死ぬ1日前に仏壇からねこがガラスコップを落とし、割れてしまった

 

 

 

oomae555:
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