ちょうど、30歳のころ、タイに
来て、当時、フォトライターとかを
やろうと思って、タイを拠点に、
というのならやっぱり、タイ語は
必要かな、と思って、YMCAの中に
あるニサタイ語学校に通いました。
とりあえず、1年はやりたいと
思ったわけですが、学校はみっちり
3時間、グループレッスンで、という
感じで、そうやって、いっしょうけん
めい勉強する人も、そう多くは
なかったですね。
そんな中、同じように1年単位で
勉強していた三菱とかいすずとか
の人と同グループになって、
まあ、皆、初心者ですけど、やはり、
若手駐在員で選ばれた人ですから
ね。頭が切れますよね。
それで、やはり、グループレッスン
でも、徐々に上達の違いが出て
きて、引き離されてきましたね。
2ヵ月ほどたって、ここでリセット
しようかな、と思い、ビザの旅とか
で、気分転換にもよいので、バスで
南部に行って、マレーシアのコタバル
にツーリストビザを取りに行きましたね。
それで戻ってくると、案の定、違う
グループに振り分けられて、同レベル
の人たちですけどね。
やっと、駐在員の彼らとは離れられた
とホッとしましたね。まあ、付いて
いくのが大変で、ドロップアウト
して出戻りしたということですね。
でも、ある時、丸坊主になって
学校に来ている彼らを見て、
どうしたの?と聞いてみると、
出家をしている、というので、
アセアン、特にタイでのエリート
駐在員を、会社が送り込んでいる
んだなあ、と感心しましたね。
タイのことを学ぶため、出家まで
やるのかって。まあ、駐在員もそれ
に応えなくちゃ、いけないわけ
ですね。
今なら、そんな忠誠はないと思うし、
20代でも4~5年で大手企業を
辞める人も普通にいるわけですけど、
昔はね。1年間、タイ語を勉強させる
という、すばらしい待遇だった
わけですね。
あれから、かれこれ、25年たったわけ
ですけど、風のたよりで、あの三菱
の彼は、タイの所長?社長?になっ
ていると聞きましたね。
順調に計画通り、人生を歩んで
来たわけですね。そういう私は、
会社にしばられないで、自分で
会社をつくって、その会社には
しばられてはいますけどね。
まあ、より自由だとは思います
けど。
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貴殿の生き方は立派!!