先日見たひろゆきさんたちの動画はよかった。今まではだいたい、成田、ひろゆきさんがゲストを論破するのが常だったが、今回はゲストが、2人と同じ土俵に上がって、それについて、話をするというので、今までの違う土俵の上で話をして、話がかみ合わない、というのではなく、同じ土俵だけど、片山さんはその既成概念を変えようとしているのがわかる。
彼女は古い思考だけど、新しい血をいれないとダメ、というのをやろうとしているから、同じ土俵に上がれるわけだ。
片山さんは私と同世代ぐらいだろうか。たぶん、この年齢ぐらいまでは既成概念を何とかしようと思える世代かも知れない。
現場の状況をわかっていて、それがおかしいと思っているんで、例えば、フジツーが下請けに出して、その下請けが3分の1ぐらいで受けて、3分の2はフジツーにお金が入る、という仕組み。そんな旧態依然の方法でやっているから、いつかTOSHIBAやSharpのように肩書だけで生きられなくなる。それが日本の構造だけど、タイでの日系も同じような構図があって、聞いた話では、日系企業相手にそういう風なことをやっているという。でも、下請けは日本のように囲えないから、下請け自体がやったり、他の日系企業が使ったりする。そこが日本での大企業との違い。タイでも日本人にとっては大会社だけど、タイにとっては1企業でしかない。その下請けを同じように日系の1企業が使えば、同じクオリティーで半分の値段でできる。
それをやっている日本人の知り合いがいて、「フジツーやNTTなど、手も足もなくて、下請けにまかせているだけで、それならうちでも同じようにできる!」という。そうやって稼いでいるのは、うらやましく見えるけどね。
そういう実態は、片山さんが言う、日本の状態と変わらないんだけど、あとのMCの2人はその現場をすぐにでも変えられるんじゃない?と言っているんだよね。
そう、私はタイでBTSが走り始めたころから、それに乗って会社に行き、フリーペーパーを作っていたんだけど、それが2000年だとすると、もう22年もたって、同じことを同じようにやる美徳が壊された、ということかな。経験を積んで、前の人がやって来たようにやって、それで死んでいく。でも、紙媒体の広告って、今や「笑いもの」のようになっていて、崩壊間近だけど、でも、まだもがいているけどね。
結局、紙媒体の人間なんで、これとネットの仕組みを融合できないか、とずっと思っている。何でも、紙に起こさないと、頭に入らない人間で、ノートブックを開いて、相手が言ったことをそのままキーを打っている人の思考とは違うようだ。
紙には紙のよさがある。32ページまで減ったけど、それをペラペラめくれば、一気読みできる。ネットでそれができるかというとできない。数秒遅れるだろう。でも、ネットのように、これが気になるから、これをクリックしたらそれに飛ぶというような仕組みはない。なので、いいとこだけを見るしかないかも。
それでMCの2人は、ネット世代だとして、その既成概念を取り壊して、新しいものがどんどん入れられるし、ひろゆきさんが言うように、クラウドは「アマゾンやgoogleだけじゃなく、日本の優秀な人もつくっているのだから、なぜそれを採用しないのか」というのも一理あるが、そういうところというのは、日本をアジアの代表として、タイでは見ていて、変に日本企業を使って、サイバー攻撃をかけられて「判断間違えた」というと、アジアにおける日本の価値が落ちるんだよね。日本はアジアではNO1の地位なので、「間違った選択」ができないんだよね。そこは難しい。
でもそういう風に見てるタイでも、アジアナンバー1の日本だけじゃなく、中国も見ているから、日本がEVつくらないなら、中国のEVを税金0%で輸入するとか、そういうのは、臨機応変ですね。
タイでは家電が5年ほど前以上までは日本メーカー一色だったのが、もうほぼ売り場を見に行っても、なくなってますからね、中華系が強い。
最終的には、東南アジアのタイなどは、日本と同じようなレベルまであと10年ほどでいけるんだと思いますね。独自の色ではないけど、真似しているからね。
それで、そのMC2人の土俵の話だけど、今までつちかった土俵がくずれる、というか、大学出て22歳、そして38年働いて60歳で定年退職して。退職金もらって住宅ローン完済して、老後は厚生年金で、という形ですけど、そういうパターンは、何も疑いない、変わらない世界ならそうだったんだけど、今では、そういう世界だけじゃないよね、という風になって、やはり、それはネットであって、20年経験ある人しかモノ言えなかったのが、1年で、このように出来ます、といって、モノ言うという、そういうことができるようになって、その1年でできるようになった人を、認めなくちゃいけないの?という時に、それがベンチャー企業になってユニコーンになったら、認めざるを得ないわけですが、日本では難しい。それでその点では、日本は取り残されていく。その形はタイに居て見えますね。
ただ、日本人は根本的に優秀なようなので、底力を発揮できるということで、その底力をどのように出していけるのか、という話だと思うのですが。
まあ、タイで見ていて、こんなのいらない、あんなのいらない、というたてまえ社会を取っ払うことが必要と思いますけど。
例えば、文面の「お世話になります」というのは、もうLINEでは私は使ってないですね。客相手なので、最後に「よろしくお願いします」とは書いたりするけど、Gmailでは、お世話様ですーよろしくお願いいたします、と客に送りますけどね。
こういうの、必要ないと思いますけどね。
タイで、会社設立、という事業をやっていて、個人での起業なら、日本人向けでうちは22,000バーツです。だって、原価0に近いですからね。全部もうけですよ、人件費と家賃以外はね。弁護士雇ってる?元税務署長雇ってる?まあ。そういうところは、お金かかってますけど、日本人個人が起業するのに、そんな肩書の人、いらないんですよ、タイでは。
でも、日本にいる時のように、マージンを70%かけるわけですね。それで10万バーツで請求する?
日本ではそのマージンで生活するわけで、マージンを普通に70%をもらえる企業は裕福で、ほぼマージンがもらえない企業は貧乏?じゃ、日本でもマージンの仕事は一律30%にすればよいのでは?そんなことしたら大企業は困る?まあ、クオリティーでの格差はありますけどね。
そういうの、ネットがあれば直でしょう。もちろん、リアルの場合は、牛丼を食べて、原価200円+流通、そのほかはもうけ50円というのなら、600円にする必要ありますけどね。
考えてみると、世代間の違い?というのは、そうでなく、例えば、私もひろゆきさんがよく言う「コードを書ける」といえば、これはかけますよ、tel: ですが、これなら覚えているのでね、例えば私の携帯の 081-566-9015で tel:081-566-9015って書いてドラッグしてリンクボタンを押してコピペすれば、tel:081-566-9015 となります。番号を押さなくても、その番号が携帯にでます。世界共通ですかね。コードで世界を変えられる?というなら、コーッドで、私の電話番号をいちいち押さないでかけられる、ということですかね。
それで、だから世代間ではなくて、例えば、修業をして、何年やったらできるようになる、とかそういう概念への考え方じゃないでしょうか?
紙面のレイアウトはタブロイド版で印刷所で教わり、2~3年やりましたが、それを今の仕事に生かしています。
そういう修業は、例えば料理なら、まず5年、そうじをして、それからやっと学ばせてもらえる、とか。でも、タイに来て、そもそもそういう修業が嫌いなタイ人向けには「1日で学べる」とか、ありますが、そう、結局、1日で学べるじゃん、ということですけど、10年かかるんですね。
でも、そのレシピをネットで上げてもらえば、数分で修業できるんですね。5年修業しなくても。
なので、修業に5年かかるのか、1年でできるのか、といえば、5年修業してから職人になる、というのがくずれている、ということですかね。5年の下積みをしなくて、お金を稼げる。ネットだったら可能なわけですね。
だから、今までの方法では経験で5年はかかるけど、ネット世代で今までの方法ではなくやると、1年でできるかも知れない、そういう新しい考え方ですかね。そういう新しいものも含めて考えられる人は上司にいないので、すべてを管理されてしまうと、そこで反発が出てくるんですかね。方法の多様性があって、それをすべての方面から総合的に考えられる人、それがネットを含めた考え方になるのでしょうか。