ずっと昔、33年ほど前、
やっちゃばで働いたことがある。
実際には、学生のころ、日通の
アルバイトをしていて、福島から
来る生鮮のトラックに西高島平
にある板橋のトラックターミナルで
乗り込み、東京などの市場に
夜中におろす仕事。
割がよかったので、結構、
やっていた。
初め、7000円だったが、
元締めの学生が1500円
抜いていて、のちに8500円に
なった。
ある月は20万円以上になる月も
あったと思う。
それで、築地とか神田とか、
北新宿の淀橋、西東京とか、
そういった市場に行って荷物を
おろす。二本松のきゅうりとか
長野、茨城のレタスとか、梁川の
あんぽ柿とか、季節の生鮮もの。
それで、神田市場へは一番、
よく行っていて、思い入れが
あり、当時、青果市場としては
断突だったのだけど、そこがあと、
2~3年で移転してしまう
というので、何か形に残るものに
書いとかなくちゃと、
文章に書くことにした。
ただ、荷物はおろしていて、市場の
中はいろいろ知っているんだけど、
自分は夜中におろして帰っていく
だけなので、早朝のセリなど、
日中に働く人の、市場のことは
よくわかっていない。
だから学生が終わったあと、そのまま、
市場で働いて、本にしようと思い、
仲卸で働いた。そのあと、神田の
トイチという卸売会社でも働いた。
でもだからといって、中のことが
すべてわかるわけではないので、
まあ、写真とともに働いている人の
姿をそのままリアルに書くことに
した。
そのあと、神田は大田市場に移って
いった。そして自分も違う仕事に
変わり、まだ、本に出来ていなかった。
その間に、もぬけの殻になった市場へ
何度か足を運び、写真も撮った。
その時、写真家の倉田精二さんもいて、
彼はのちに神田市場の写真集を
出したんだと思う。
自分も、やりとげなくてはと、
何とか26年前に出版にこぎつけ、
「神田市場に集う」が世に出て
まあ、何とか、いろいろ品評も
してもらって、今は亡き
神田市場の日常をリアルに
書いた本として、貴重なもの
となっている、とは思うが?
今、読み起こしてみると、
アオいんだけど、いろいろ
業界用語が散りばめられていて、
この時代の、この手の情報が
ほしい人には貴重なもので
あると思う。
でも、そんな人はほぼ皆無
だけどね。
以下の写真は「神田市場に集う」
からの抜粋。
何度も市場に行って、撮った写真を
自分で焼いて、その黒のトーンを
そのままいかしたいと、出版社の
社長とあれこれやったんだけど、
結局、その黒のトーンは本書では
十分にいかされなかった。
こうやって、30年以上たって、
自分の撮った写真を、ある程度、
そのままの形で発信できるなんて、
当時は思いもよらなかった。
現場をうろちょろしていたのは
22歳ごろだったので、これらの
写真を見て、当時を思い起こして
もらえるのは、その当時はそれ
以上の年齢の人だろうから、
今ではもう、60歳以上の人だろう。
もし、写真を使用する際は、
著作者等の提示をお願い
いたします。
競売後、競売価格の公開現場(神田市場)。一番問題なのは、何千と入荷しているはずのレタスの上場数量がごくわずか、という実態。境町のレタスはA級2Lが11ハイ、Lが7ハイ、Mが7ハイ
1836年に「万(よろずや)彦兵衛」が創業した果物の仲卸「万彦」の店舗前で。昭和46年ごろまでは「仲買」といっていたが、イメージなどの問題もあり、「仲卸」となった。千疋屋など高級くだものを取り扱う小売店も顧客。
荷受会社トイチのショーカン「ニッソー」から夜中に搬出する転送屋。板橋の市場に持っていく。力のある神田市場に商品が集まり、そこから周辺の市場に夜中のうちに転送される
茨城の岩井の、親子3代のレタス生産農家。畑で取れたレタスを手に
「デラはひとっこうり(一甲)もいらない。2キロ」
「ビワ、いくら?」
「ソクバン!」
仲卸の店前で、マイテに載せた、顧客に配達する商品。これはガード脇から、南口市場棟3階、そして駅前をまわって、中央通りのコース
手書きの値札がいい味を出している小売店の店前。その日、その日で、値段が変わり、セリの値段を即、反映させている
番町にある川上青果と、その社長。朝の「納め」で忙しい
浜松の玉ねぎをおろす夫婦。「今は玉ねぎ、夏は長野のレタス。とんぼで帰って、あしたもまた、市場回り」といい、女性で20キロのネットを数百もおろすのはスゴイ
岩井のレタスを箱詰めする生産農家。親子代々受け継がれている。規格のA級、B級にみずから仕分ける
マイテに積み込む夜勤者の外国人。夜勤明けに学校に行っている
岩井の予冷センターで、持ち込んだレタスは、トラックの手前側がA品、向こう側がB品に分けられる。そして、積み上げられたパレットは、奥のバキュームにかけられ、レタスの芯まで5℃に冷やされる
市場で働く人のための「神田市場理容室」。北口市場棟の西側の一画にあり、営業開始は昭和22年
仲卸の西高がセリで買って、積み上げられたマスクメロン。こののち、仲卸の店舗に持っていく
マイテに高く積み上げた商品。夜勤者は外国人が増えた。市場で働く夜勤者は、年齢、学歴などまったく関係ないのが特徴だ
果物の仲卸「万彦」の店前で
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自由に使っていただいて問題ありません
初めまして 1954.01/30生です 現在Yahooのメールが不調なのでメアドは控えますが 昔都内に暮らしていました時 夕方〜朝まで場内でバタバタを操作して蔬菜を移動するアルバイトをしていました 仕事を終え間借りに戻り仮眠の後.. 掛け持ちのバイトの生活を暫く続けましたが 続ける事が出来なくなりバイト料を頂いた翌日に行かなくなりました 何十年も前の事ですが ふと懐かしくなって当欄を拝見しました 貴重なご資料をありがとうございます *もしも こちらの貴重な画像等を使用させて頂く場合 青果の卸売りで最大だった神田市場の思い出 と提示させて頂けば宜しいのでしょうか? P/Cもメールも半端な為申し訳有りません m(_ _)m